前回の続きです。
当時24歳の時にホテルのレストランの店長を任される事になりました。
他の社員の方達は私よりも遥かに年上の方達でしたので、少しだけ心苦しい気持ちもありましたが、社内の人間関係は良好でしたので、特に困ることは無かったですし、会社への貢献が評価されての抜擢がとても嬉しかったです。
メニューや価格設定、食材の仕入れ、ホテルの方達とのミーティング等、責任もありますが、非常にやりがいのある仕事でした。
当時、レストランの店舗の売り上げが落ち込んでいて、その改善を狙った人事変更でした。
店長就任から1年、うまくいった改革や、大学時代の友人、後輩達が多く利用してくれたこともあり、前年度比を超える月がちらほらと出てきました。
そんな矢先に起こったのがコロナ禍です、、、
ホテルの中の飲食店ということもあり、朝食ビュッフェもディナーも担当しておりました。
朝食は毎日200名から300名程のお客様がずっと来店されていました。
しかし、コロナ禍と同時に宿泊者数も激減。普段は一番忙しく、お客様数300名を超える日曜日も、お客様が10名を切る日も出てきました。
家賃や機材のリース代はもちろんの事、
食材の廃棄がめちゃくちゃ増えてしまいました。
お客様が来られるかもしれないから、食材は仕入れないといけないし、朝食ビュッフェに料理が全然並んでいないのもナンセンスですよね、、
そこで、食材廃棄の対策及び飛沫対策として、ビュッフェ形式ではなく、定食形式を取る事にしました。
食材の廃棄は減りましたが、今度は人件費が上がります、、もちろん売り上げは落ち込んだままです。
そんな経営をする事1年、店舗は差し引き60万円の赤字を毎月出すようになってしまいました。。
このまま続けていても、回復の目処も立たないという事もあり、ホテルレストランからの撤退を余儀なくされました。
もうちょっとできる事はあったのではないか、、
どうしようも無かったのか、、?
と悔しさと不甲斐なさがあった事を覚えています。
最高、居酒屋3店舗、レストラン1店舗、社員食堂2店舗を経営していた会社も、次々と撤退を余儀なくされ、ついに居酒屋の本店1店舗になってしまいました。
退職する社員の方達も多数でてしまいました。
③に続く