前回の続きです。
入社から研修1ヶ月、営業1ヶ月経ちました。
営業成績は全国で3位でしたが、自分自身も、支社も納得のいく結果ではなかったです。
2ヶ月間毎日平均睡眠時間2時間半でしたが、麻痺していたのか、特に苦ではありませんでした。
1ヶ月で一番苦しかったことは、仲が良かった友達、先輩、後輩達との人間関係が壊れてしまった事です。。
電話をして、今保険会社で営業をしていると伝えた瞬間態度がガラッと変わってそれから連絡が一切取れなくなったり、
後輩には「俺をカモにしようとしてるんですか!?」と言われました。
自分自身保険について、必要なものだと思っているし、持っていて欲しいものだと思っています。
ただ、保険の内容や機能をよく知らない人からしたら、保険の営業マンは怪しい壺を売ってくる人と同じような存在という認識でした。
私は昔から人間関係はとても大切にしていたつもりです。
自分自身の服とか物とか買わずに後輩達をご飯に連れていく方が優先でした。
それまでしてきたこともあって、内心自分の中では、
あの後輩だったら、例えば本当に怪しい壺5万円を私が売りに行っても、何かを察して買ってくれるんだろうな。という楽観的な気持ちがありました。
もちろん、現実はそうはいかず、実際に話してみると、もう、飲食店で勤めている時の私への反応ではなく、怪しい壺を売る人への反応になっていました。。
よく話を聞いてもらえないまま、「もういいです。」「今度にしてください。」
と今まであんなに慕ってくれていた後輩達だとは思えませんでした。。
決して押し売りをしたり、自分自身が悪いと思っているものを売っているつもりはありません。
そうこうしているうちに営業の電話をする事自体が恐怖になっていきました。
毎週日曜日に会社から成績報告の電話がかかってくるのですが、アイフォンの着信音を聞くと手が震えるようになりました。
恐怖心で心がいっぱいになりました。
眠れなくて毎日の睡眠時間が1時間を切る事もありました。
今後どうしていこうとか考えたりすると、「もうだめだ。生きている意味がない。死なないといけない。」
「お世話になった支社長、営業所長にも顔向けできない。」「笑顔で送り出してくれた飲食店のみんなにも合わせる顔がない。」「いっぱい迷惑をかけた両親に親孝行する事もできない。」
気がついたらネクタイを結んでドアノブにかけて首を吊っていました。しかし、結び方がうまくなかったのか、何回やっても緩んだり伸びたりしてしまいました。何回かやっているうちに苦しさに対する恐怖が出てきました。
そこで私は他に思いつく方法がなく睡眠薬を大量に飲むという方法を取ろうと思いました。
家の近くに睡眠クリニックがあったのでいき、眠れる薬をください、と診断していくと、適応障害と診断されました。うつ病の手前のようなものみたいです。
会社を休むようにと、診断書を渡されました。
思い出そうとするのですが、病院の記憶は今でも曖昧です。
病院からデエビゴという睡眠薬をもらいました。1週間の通院でまた次の週の薬がもらえるようになります。
処方された薬は飲まずに溜めて行きました。ネットで調べたところ、市販の薬では死ねないみたいなので、病院からもらうデエビゴを2ヶ月分ほど貯めようと思いました。
それから通院しながら家では何もせずぼーっとしていました。
そして1ヶ月半が経った頃、営業所長が傷病手当の件で家に来られました。
(適応障害で休職した場合、傷病手当というお金が毎月もらえるみたいです。)
もうすぐ死ねると思っていたので、傷病手当を受け取るのを拒否しました。全部が面倒くさくなっていました。
会社在籍のままだと支社長や営業所長に迷惑がかかると思い、退職の手続き書類をお願いしました。
営業所長に「それで、これからどうやって生きていくのか?」と言われましたが、何も答えることはできませんでした。
⑥に続く